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ちょっと冷静に考えてみよう。
サンプルとして、1980年を考えてみる。 まあ、わたしがおぼろげながら皮膚感覚として知っている、一番古い「プロ野球(観戦)の空気」の記憶、ってくらいのものだが。
野球といえば巨人(当時)。巨人といえば王貞治*1。 王・現役引退。
大卒の初任給が約11万。 カレーパンは50円(これは妙に記憶に残ってるw)。
大体、今は当時の2倍の物価と考えれば良さそう。
そして、当時の王の年俸が6000万から7000万。 今で言えば大体1億から1億5千万、てところでしょうか。
スーパースターである王が、今に換算するとこの金額。 今、1億5千万(以上)って言ったら30から40人はいるわけでしょ。
つまり、今のプロ野球は本来なら、当時で言う王の30から40人分の「盛り上がり」=「ファンの支持」=「ファンの出すカネ」がないといけないはずなんですよ。
で、実際はどうかというと。
当時は野球観戦(スタジアムに行くにせよ家で晩酌しながら見るにせよ)ってのがひとつの娯楽として成り立っていたんですけど、今そうじゃないでしょ。アフターファイブなんて言って、本当にファイブで帰れるのなんて、公務員くらいのもんです。 あまつさえ、そのあとに野球見に行く奴なんて一握りもいない。
子供はというと、ママの策略で、ナイターを観るはずの時間は日能研か四谷大塚に監禁されている。日曜日は定例テスト&講習。
・・・どう考えても、当時のファン数を維持することすら難しいと思うんですけど。*2
取り囲むファン層はこんな感じで、なのに選手たち当事者の危機意識の薄いこと薄いこと。
バブル崩壊して平成大不況、リストラの嵐が吹き荒れ、社民党をはじめとするリベラル派が「ワークシェアリングをしてでも雇用は確保すべき」という大激論をし、昔はだれも予想だにしなかった「銀行がつぶれる」という大異変が起きてている時、それを横目に見ていたかどうかも知らないけど、特にパリーグは、アホみたいにのほほんとしていたわけ。
それを如実に表していたのが「プロ野球珍プレー好プレー」の、毎度恒例のワンシーン。
パリーグのデーゲームの風景。 アニメのサントラか何かの「平穏な日常」のBGMと、みのもんたのナレーションをかぶせて。 こんな感じ。
- 「うららかな天気の○○球場。 あーらスタンド、ガ・ラ・ガ・ラ。 外野スタンドで子供たちキャッチボールしてます、僕たちー、野球の試合のほうも見てねー。 まったく、お父さんはどこ言っちゃったんでしょう?お父さーん、ああ、いたいた、ってお父さん新聞顔にかぶせて・・・寝ちゃったよ。 あらあらこちらはカップル。見つめあっちゃってる。ちょとちょとお嬢ーさん、試合のほうも見てー。ってあらもう、アナタのコトしかミエナイノ(ぶちゅー)って、何しにきたのあんたら。試合見てー!」
こんなのを、毎年毎年スタジオで見せられてヘラヘラしてたわけですよ。パリーグの選手は。
例えばアミューズメントパークなんぞで、TVで「うわー、客入ってないですねー!」なんて言われたら、翌日朝イチで社長の招集による幹部緊急会議ですよ。 最悪、降格人事モンです。
「日本で、野球を注目させ盛り上げようとしている選手は新庄だけ。他の人は何もやってない」という意見がどこぞにありましたけど、その通りだと思います。*3
野球全体でも、ピッチャーがマウンドまでへなちょこカーに乗ってくるようになったのと、ドームにしたのと、ウグイス嬢が一部、いんちき大リーグDJちっくになったくらいのもんで、「なんで野球だけが高度経済成長時の方法で21世紀もやっていけると思うの?」て感じ。
チーム存続かどうか、2リーグ制維持かどうか、てレベルじゃないです。
野球そのものが日本の中でショースポーツとして残るかどうか、という問題なんです。
プロ野球というパイそのものの全体量が80%に縮小するというのは、そんなにおかしくない話だと思う。