血液型の性格診断ってのは
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/tv/news/20041127k0000e040065000c.html
血液型番組:「性格決めつけ」視聴者から抗議相次ぐ
- ・・・特定の血液型を「いい加減な性格の持ち主」「二重人格」などと決めつける内容が目立ち、NHKと民放が設立した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」には、視聴者から「子供が血液型でいじめを受けた」「一方的な決め付けで不快」などの抗議が4月以降、50件以上寄せられた。
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- ・・・血液型性格判断は80年代にブームになった。学者らが「統計上の違いはわずか。科学的には何も実証されていない」などと批判し、沈静化したが、再び雑誌などが取り上げ「大衆の常識のように定着してしまった」という。
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- 毎日新聞 2004年11月27日 15時00分
本当に血液型で性格が分かれるかどうかはさておき*1、血液型診断というのは、その分析統計内容そのものよりも、判断をしてみたことによる、「差別」にこそ、その本分・効能があるのだと思のです。
つまり、とくに肉体的特性とか出自とか、そのテの不可避な属性による「差別」というのは、日常においてあってはならないと教育しているはずなのに、血液型診断血液型というフィジカルな分類をもとに差別を行い、しかもそれを楽しんでいるという構造なのであって、よく考えれば由々しい問題なのですね。
なのになんでこれまで問題にならなかったかというと、そもそも本質的に「根拠が無い」、ゆえに本気で物事を考えるときに根拠にするのがばかばかしい、ということ、そしてそれを逆手に、「血液型判断でバカにされたからって怒るなよ、大人気ない」という小理屈がまかり通ってしまうからなのですね。
冷静に考えれば、根拠ないネタで怒らせるほうが悪いのに。
ただ、差別ってのは「楽しい」んですね。 「ゴー宣」*2にもそういう話はあったし、「気まぐれコンセプト」とかのホイチョイものはヒエラルキーネタが多いわけで。
はっきり書くと
血液型診断
- A型が多いという民族的特性のある日本の国内において、習慣の観察や、統計というもっともらしい理屈を持ってきて、B型の人間を貶める差別遊び
というわけだ*3。
つーことで、「あの人って絶対B型だよねー」とかなんとかいう人は、その言葉の意味を振り返り、かみしめ、自省するように。
・・・さて、私の血液型は? → 答え:AB型
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