トラバされるテクストを考える
(あわてて事前言い訳:充分な文章考察はされていませんので内容的にヌルいところ満載です。ご容赦。基本的には仮説集です。)
まず、「人気があればトラックバックがある」というのは、必ずしも正しくないと思います。
トラックバックとはつまるところ「言及」なのであって、言及すなわち人気ではないわけです。
[ガラスの仮面(42)] ← 言及 ← [たけくまメモ]
これを、言及対象を「誰かのブログ」にすると
[誰かのブログ] ← 言及 ← [たけくまメモ]
という構図になります。これがトラバです。
(実際は、「Aさんのブログに書かれた内容についてBさんも書いて、「私も書いたよ、読んでね」というのが本来のトラックバックなのですが、現実としては大雑把に、上記のような使われ方がトラバと考えて間違いではないのかなあと。)
ただしこれは[たけくまメモ]が[誰かのブログ]にトラバする、という構図。
[たけくまメモ]にトラックバックされたいのだから、立場を置き換えればいいわけです
[たけくまメモ] ← 言及 ← [誰かのブログ]
では言及されるには?ということになるわけですが、でも言及って色々あって、「なんかまた○○新聞が○○党のアラ探しして記事にしてるなあ」なんてのも言及には違いないんであって。
[小泉政権] ← 言及 ← [日刊ゲンダイ]
(↑↑↑ これも言及。 ↑↑↑)
まあ、そういう極端な例でなくても、あるブログに対し「その意見に意義あり」ていうトラバも、トラバといえるわけです。(そして実はこういう意見のぶつかり合い、そしてテクストが「成長」するのが「ブログの醍醐味」の一部だったりもします。)
要するに、「自分だったらこういう文章に言及(賛同でも引用でもツッコミでも)するよなあ」というのを想定して、自分がそういう文章を書けば、トラバされやすい文章になる、と。
とすると実は「おとなしい優等生的なテクスト」って言及=トラバしにくくて、
- ものすごく鋭い指摘で、読んだ人が思わず他人に伝えたかったり
- 強烈なインパクトあったり、
- 突っ込みどころ満載だったり、
- ぶっ飛んでたり(アイドルなのにコオロギの死骸をブログにのせるとか■)
- 誰かの反感かったり、
- 個人作家を攻撃したり、
- (内部)告発したり、
- あからさまに間違っていたり、
- 「皆さんはどう思いますか?」とか
- 「・・・というような気が(予感が)するのですが・・・」で締めくくったり
すると、読んだ皆さん、ワイのワイのと言及してくれる、のではないでしょうか。