ホンダラ行進曲

 とかくこの世がホンダラッタホイホイで、越しても越してもホンダラホダラカホーイホイなのだと断言するからには、すべての人にとって恐らくホンダラでホイホイなのは最早避けられない現実なのである。
 であればホンダラでホイホイだという事自体はホンダラでホイホイとして受け止めて、ホンダラやホイホイの解釈を変える事で、山を越える意味をその人なりに変えていく事が出来るのではないだろうか。
 幸いな事に、山を越したときホンダラッタホイホイである事は底抜けに明るいトーンで歌われており、それは私たちに希望的な解釈を与えてくれる。多分。


植木等(80)、呼吸不全にて死去。ご冥福をお祈りします。