(5/3メモ分)

 痛ましい事件であり、静かに見つめていたのだが・・・どうも叫弾つるし上げ系の情報戦が繰り広げられかけているように見えるなあ。
 無論、遺族の怒り・悲しみ・激昂は、当たり前だしそれを止めることもできない。 ただ、我々は「では今後どうするか」も考慮しなければならないのだけれど、これって過密ダイヤを止めろー、過酷労働を止めろー、ですむ話でもなくて。 実は過密ダイヤにしたからこそ現在の運賃・現在の足回りが確保できてたりする面もあるわけ。 例えば雑な計算をすると、鉄道従事者数をそのままで本数を半分に間引きしたら、運賃は2倍になる上、ホームでの待ち時間も2倍になる、とか。 それはそれで怒るでしょ? 今はいないかもしれないけど、「電車と電車の間もっとツメぇてビュンビュン走らせぇや」くらいのことは言いそうだよね。 そういう「都合」のぶつかり合いが先にあって、それが過密ダイヤを生み出してると考える。 その緩和手段としてたとえば「オフピーク通勤推進運動」とかあったりするわけ。
 まあとにかく、「会社の体質」あるかもしれないけどそれ以外の要因ある、って考えないといけない。
 翻って今の報道を見ていると、会社の体質だけが問題で、会社の体質をどうにかすれば(プラス、ハイテク的安全装置の取り付けをすれば)この話題は終了であるかのような流れが、ちょっと見えているのが気になる。
 体質ってのはつまり日勤教育とかってことになるんだけど、それはそれで問題だけど、今回の事故の譲許から類推すると「会社に日勤教育のようなものはないが、人一倍責任感のある運転手」でもやっぱり同様の事故は起きるわけ。 だとすると見なおすべきは過密ダイヤとパンクチュアル性であって、これは実は「需要と供給」の問題であり、「通勤の乗換駅で走る人たち」という光景が半世紀近く変わらないという現状からするに、体質をどうこうしたところで完全解決はできないんですよね。
 つまり、普通に考えると

  • 過密ダイヤとパンクチュアル性を甘くする → 不便になる → 客が減る → リストラまたは運賃値上げ

という流れなんですが、どうなんでしょうかそれでいいんでしょうか?