以下メモ
順列組み合わせで考えるべきなのでは。
- いじめられている人の数
- いじめている人の数
- 「これはいじめだ」と、いじめられている自覚のある人の数
- 「これはいじめだ」と、いじめている自覚のある人の数
- 傍観していて「これ」をいじめと感じる人の数
- いじめの件数
- 1件のいじめに関わる、いじめられる人数
- 1件のいじめに関わる、いじめる人数
- 「自分の子は学校でいじめられてはいないだろうか」と考える親の数
- 「自分の子は学校でいじめてはいないだろうか」と考える親の数
単純に考えれば、「いじめている人数」は「いじめられている人数」より多い。 しかし親は大抵、いじめ問題を考えるとき、「自分の子は学校でいじめられてはいないだろうか」と考え、いじめられていないとなるとホッとして、そこまではいいのだけれど、そこで終わりになってしまうのです。
本当はここで、「自分の子は学校で(誰かを)いじめてはいないだろうか」まで考えないといけないのですが・・・。
最悪の場合、親に、「子育ての上で、いじめられさえしなければいいのであって、いじめる分には問題がない」 という考え方すらあるかも知れない。 もちろんこれは現状認識としては間違いであり、基本的にはまず本人に責任があり、社会的には、「それが未成年である場合は保護者に責任がある」のですから、子がいじめをしている場合は親に責任があるのです。
「いじめている本人の責任を明言する事」と、「未成年者保護法によるいじめている本人保護」のせめぎ合いが蔓延していることが、いじめの問題にストレートにメスを入れられない原因なんじゃないでしょうか。