「一部の人メソッド」

 ある種の論法に対する揶揄で「一部の人メソッド」というのが有るらしい。
 メソッド(method)というのは「手法」のことで、これ自体はただのカタカナ語なんだけど、「○○メソッド」という言い方が一種の流行語としてありまして、「手っ取り早くて効果の高い、説明技法・プレゼン技法」のことです。

 「一部の人メソッド」というのは説明くさく言うと

一部の人メソッド

  • 着目する母体C(人の集まり:団体・集団・群集)に関し分析をする際、その母体の多数の個体に事象Aが見られ、少数の個体に事象Bが見られる時、「事象Bを持つ少数の個体」を『一部の人』というキーワードで区別し「この母体Cの特性は全体としてはAである」として話を進めること。

というところでしょうか。
 客観的説明に徹すると別にたいしたことない言葉なんですが、どうもこれが議論バトル、平たく言うと攻撃的批判(つまり祭りのタネ)として用いられる向きがある。 「『一部の人メソッド』で切り離して済む話なのかよ?」ということみたいですね。

ヒートするポイント

 そして、「切り離して済む話だと思うよ?」という意見も出て、泥仕合になる、と。 ポイントは「『一部の人』というキーワードで区別」というのはアリかナシか、だと思うんですが・・
 当ったり前な結論としては「アリの場合とナシの場合がある」という事になるのではないでしょうかね。 つまり全体Uから着目する母体Cを抽出する時点で、条件「C:事象Xが見られる個体」というのが何かしらあるわけだけど、この事象Xと事象Bに相関関係はあるかないかという事、もっともらしく言えば『独立事象』か『従属事象』か、ってことです。

『それは「一部の人メソッド」だ!』と指摘する側は、シビアな解析を要求される

 『独立』か『従属』かの議論というのは基本的に『従属』を主張するほうが不利というか面倒でして。 『独立』ってのは事象Xと事象Bに因果関係が無いってことなんで、『無い事の証明はできないことになっている』という定義(「悪魔の証明」)から、『独立』を主張する側は特に何もしなくてよく、逆に『従属』・因果関係があると主張する側はその『ある』ことを提示しないといけないわけです。
 さらに、『従属』の提示をクリアしたとしてももうひとつ、「事象Bを持つ個体は誤差として無視できないほどある」事を提示しないといけない(誤差の定義は信頼性の定義とセットで、自然分布のサンプリングでよいと思います)。
 この2つを提示できて初めて『それは「一部の人メソッド」だ!』、無視してはいけないものを無視しているのだ、と指摘できることになるわけです。
 逆に、この2つを提示できないのに『「一部の人メソッド」だ!』と言ったとすると、無視するはずの部分をあげつらっている、いわば『「一部の人メソッド」メソッド』ということになると言えます。 というかこれ、詭弁のガイドライン第2条そのものですね。*1


*1:2.ごくまれな反例をとりあげる「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」

というわけで

 他にも、

  • 「C:事象Xが見られる個体」のX(つまり母体の定義)が曖昧だと「一部の人」は無視できる誤差におさまるのかおさまらないのか判断ができない(ので、議論が泥仕合になる)

とか、考察しなきゃいけないことはいっぱいある気はするけど、とりあえずこんなとこで。