TAKESHIS’

 「TAKESHIS'」観てきました。 北野監督自身「客の半分は大絶賛で、もう半分は金返せって言ってた」という作品でございます。
 上映館&スケジュールと自分の予定も照らし合わせて、朝10時に品川に行ったわけですが、まあ、場所と時間の要因もあったんでしょうが、「お客入ってないよ」という前情報はそれなりに正しかったのかなあ、とか思ったりします。 プレミア上映(割高)だったというのもあるんですが。 てゆーかプレミア上映って何?椅子は確かにゆったりできるフカフカのシートだったけど。



 【注】ここから下、なるべくネタバレにならないようには気をつけますが、それでも話の本筋に近いキーワードは出てきちゃったりしますんで、まっさらな状態で観たい人は読まないでください。






 この映画の、クランクイン当時の仮タイトルは「フラクタル」だそうな。 自己相似。 理系の人は雪片曲線とかドラゴンカーブとか思い出すんじゃなかろか、「全体のうち一部分を抜き出して拡大してみると、それは全体の姿に似ている。そのまた一部分を抜き出して拡大してみると、やっぱりそれは全体の姿に似ていて、そのまた・・」と続く、アレです。
 売れっこ俳優・ビートたけしと、冴えない俳優志望中年・北野。 話は北野を軸に進みますが、明示的に「一人二役」なのはシナリオ上ではここだけ。 というかそもそも、ビートたけし/北野以外、ほとんどの登場人物は個人名称が出てきません。 出てこないまま別役で登場するんで、混乱します。 多分この混乱に振り回されると訳わからなくなるんですが(「金返せ」のパターン1)、この混乱を「混乱」のままで受け入れることができれば(作品の流れはちゃんとそういう風に出来ている、と思う)、そのままTAKESHI達(“s'”)を楽しめるのではないでしょうか。
 また、ビートたけし/北野の「一人二役」も、「北野が俳優として成就すると、たぶんビートたけしになるんだろうなあ」という感覚が、まさにフラクタルな感覚を喚起させてくれます。
 というかですね。 「だろうなあ」じゃなくて、大体日本で20歳以上くらいなら、それなりにビートたけしの歴史を知っちゃってるわけですよ。 今でこそビッグなタレントだけど、もとはペンキ屋の子供で、マンザイブームで波に乗るまではドサ廻りでストリップ劇場の前説をやっていたとか。 シナリオ上『俳優』ということになってるけどそれは便宜的なもので、つまり、タレント・TAKESHIの現在/過去そのものとオーバーラップして観ちゃうわけですよ。 そう観るのが正しいとか間違ってるとかは多分本人に言わせりゃ「どっちだっていいよそんなもん(笑)」なんでしょうけど、現在という「全体」と過去という「部分」を同時に観る、そしてなんとなく同じに見えるというフラクタルが、そこにはある気がします。
 で、それ以外のシーン的なフラクタル/オーバーラップは、×××(ネタバレにつき伏せ)が使われるのだけれど、これで怒る人もいるんだろうなあ(「金返せ」のパターン2)。 個人的にはこれはこれでいいと思うんですけどね、つか、使わないであんな個性的な各シーンをつなげるのは無理。 一応意味あるし。


 さて、トータルで見ると・・「あからさまに実験作」ですね(「金返せ」のパターン3)。
 少なくとも「難解」ではないです。 カンヌで「難解」と評されたのは、海外の観客の皆さまには前述の「たけしの成り立ち」という情報が無かったのと、頑固オヤジのラーメン屋というものとゾマホンというものがピンと来なかったから、じゃないかなあ。


 個人的にビートたけし好きなんで評価が甘くなってしまいますが、うーん、上映1回800円とかなら3回見たかもしれないけど(多分繰り返し見たほうが「体感」としては面白い)、1800円だと考えちゃうなあ*1


 あと、おっぱい少々

><

*1:でももう1回くらいは見る気がする