「そうは言ってないですよ?」
困ったことにスキーマというのは常に正しいとは限らないのですが、さらに困ったことに、そんなに信頼おけないものでもないのですね。 花瓶を割れていたのは大抵「彼が廊下を走り抜けたときに花瓶にぶつかって落とした」のであり、「彼」のモデルは恐らく磯野カツオ君なのです。
スキーマの信頼度が高いと、言葉が少なくなる代わりに"話が早く"なります。 究極には「旦那:『おい、アレ。』/妻:『はい(といって眼鏡を持ってくる)』」という老夫婦像という感じですか。
逆にスキーマの信頼度が低いとその分言葉が増えますが、それはそのまま「明文化」ということになります。 これの究極が、アホみたいに分厚いPCのマニュアルとか、あるいは契約文書のようなもの、ということです。
さて、「花瓶が割れて、廊下が水浸しになっている。」「彼は学校から帰ってランドセルを脱ぐと、すぐにバットとグローブをもって出ていった。」と書いた人が「いや、彼が廊下を走り抜けたときに花瓶にぶつかって落とした訳じゃないですよ」というのであれば、それはなぜなのか追求したくなるというものです。
- 文章を正しく伝える事に無頓着(あるいは下手)
- 言葉の距離感が普通と違う
- ワザと
しかし1.と2.はさておき、3.って何の意味があるんだ? ということになりますね。 ただ、性格悪い人は(笑)わかったはず。
「どういう前提でどういう情報を出せば、相手にどういうスキーマが発生するか」さえ読めれば、自分が本当に言いたいコト(相手にそう解釈させたいコト)がそのスキーマにある場合、自分自身はそれを明文化することなく相手に『解釈』を持たせることができるんですね。
「自分自身はそれを明文化することなく」ってのがミソで、
- 言葉そのものにしたくないとき(表立って言うのがはばかられる、とか)
- 明文化すると自分が不利になるとき(言質を取られると困る、とか)
- そういう言い回しが面白いとき(ギャグとしてとか、「含み」とか「嫌味」とか)
だいたいこんなところでしょうか。
(しかし言質を取られると「困る」って、何だそりゃ。 名誉毀損になるとかならないとか、嘘を吐いたと言われるとか言われないとか、そんな感じ? つづく。)